飯舘村について

いいたては、おもしろい

「いいたてむら」。どこかで聞いたことありませんか?
あの原発事故の際に多く報じられた名前です。
7年以上に渡り全村避難が指示され、2017年の避難解除後も
6分の1ほどの人口しか帰村していません。
しかしそんな村が私たちにはとても魅力的で可能性にあふれて見えます。
新たな村づくりのため着実に歩を進める村の現状、
足を運ぶにつれて魅力にとりつかれていった私たちの様子や取り組み、
今後の活動の展望などをこのページでは発信していきます。


飯舘村とは


「飯舘村」という名前に聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか?

この村は2011年の東日本大震災の福島第一原発事故の影響で全村避難となり、ニュースで大きく取り上げられました。

飯舘村は原発30km圏内からは外れており当初は避難指示がありませんでしたが、事故後の風向きの関係で非常に高い放射線量を有していることが発覚しました。

事故後約1ヶ月後経って全村避難、立ち入り禁止が指示されました。2017年に避難指示は解除されましたが、7年間の避難生活の影響は大きく震災前6000人以上いた人口のうち1500人ほどしか帰村されていないのが現状です。


そんな飯舘村は標高が高いため夏の冷害に悩まされてきました。

しかし、戦後からの地道な村を挙げた取り組みにより畜産と花卉栽培による農業生産額アップに成功し、村おこしの成功例として注目された地域でもあります。


また、この村には「までい」というキャッチコピーがあります。

までいとは、「地道にゆっくり、手間ひまをかけて」という意味の方言です。
村民が村のために一致団結してまでいに仕事に取り組む姿勢と花をはじめとする豊かな自然が認められて「日本一美しい村」の1つに認定されました。